『ある画家の数奇な運命』- 現代に生きる人に問いかける「自分の真実」-

Story

ナチ政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって命を奪われる。終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋におちる。元ナチ高官の彼女の父親こそが叔母を死へと追い込んだ張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気づかぬまま二人は結婚する。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへと逃亡し、創作に没頭する。美術学校の教授から作品を全否定され、もがき苦しみながらも、魂に刻む叔母の言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けるクルトだったが―。

公式HPより

Staff/Cast

監督/脚本/製作:フロリアン・ヘンケン・フォン・ドナースマルク
[代表作]ツーリスト(監督・脚本,2010)/善き人のためのソナタ(監督・脚本・共同制作,2006)

出演:トム・シリング/セバスチャン・コッホ/パウラ・ベーア/ザスキア・ローゼンダール

[ある画家の数奇な運命  上映時間:189分 ]

簡単な感想

惹かれた/興味深かったポイント
  • ナチスの自国民への非道政策
  • 戦後ドイツの東西分断による影響
  • 真実・原体験というテーマ性
  • 現代絵画の巨匠:ゲルハルト・リヒターの半生
  • 美しく濃厚なラブシーン
どんな人向けか
  • 教科書じゃない世界史に興味がある人
  • 自分の想いをビジネスや生業にしたい人
  • アート・芸術好き
ひとこと

「私の真実はなにか?」「あなたの真実はなにか?」
平和の世の中、平和な国ではわかりやすい原体験が得られにくいのかもしれません。だから、自分探しに苦労する。ある意味で、現代も辛い時代なのかもしれません。
そんなことを観終わったあと考えた作品でした。

駄文的長文な感想論『ある画家の数奇な運命』

人生の迷い人に向けた傑作

3時間を超す大作。東京で上映しているのは立川と日比谷シャンテの2館のみ…前評判も高かったり、低かったり、謎の作品。

予告編を見る限り、サスペンスなのかヒューマンドラマなのか軸足が不明。俳優(特に女優)が魅力的、ナチス・アート、、、様々な要素で心を撫で回してくるので心を決めて劇場に足を踏み入れてみた。

劇場という空間の手助けもあったのかあっけなく3時間は過ぎ、集中が緩むことを自覚する間もなく楽しんで観れた。私としては傑作。かなり面白かったです。(陳腐な表現で申し訳ない。)

ネタバレは控えたいと思うが、伏線になりえる要素はいくつもあったので展開パターンもいろいろ張り巡らせるが、結局の所、本作における全体的な軸足のとり方は私としては良かったのではないかと思ってます。

基本的には主人公クルトの成長を見守りながら偉そうに、「それだよ、そうだよ」なんて微かな煌めきを覚えながら応援しつつ、終演後席を立って「さて、俺は」なんて自分に置き換えて考えさせられたり、、、と人生の迷い人にはたまらない作品であったことは確かでした。

さて、ネタバレは可能な限り排除して、私として学びになった要点をピックアップしてみました。

ナチス選民思想が生む非常なT4作戦

ナチスドイツが自国民への迫害をしていたことは私としては勉強不足で知るところではありませんでした。

ただ、よくよく考えればナチスの人種的イデオロギーに沿うところで納得のいく施策とも思えます。自国民(ゲルマン民族)は優良種族であり、精神障害者や身体障害者を排除して、浅はかな視認性において示したかったのでしょう。

ナチスは全体主義で非学術的なご都合主義のイデオロギーを多く推し進めます。多様性の真逆に位置する考え方ですので、少し変わった人、自分と違った人というのはいないことが国策の方針に沿っていることになります。

戦後、T4作戦(テーフィア作戦)と呼ばれ、20万人以上の方が犠牲になったようです。

この犠牲者には、軽度から重度、中にはもしかしたら障害のない人もいたものかもしれません。この作戦の非道性はもう一つ、その選択において医者の勝手な判断という運用の煩雑性もあったそうです。

人による命の選択が当たり前に行われていたことになります。

その犠牲となるのが本作においてクルトの美しい叔母エリザベトです。

とても美しい方でした。序盤で描かれる描写ゆえ登場する時間は短いですが、その美しさは観ている側にも尾を引かせます。

分断され続けた東西ドイツの影響

戦後、ドイツが東西分断し、社会主義の東ドイツと民主主義の西ドイツ。

本作においては芸術にフォーカスした対比に絞られて入るものの、要は言論の自由が実際としてあったかというと東ドイツにおいては否だったのでしょう。

戦後における冷戦の影響も見受けられます。

これは脱線するところですが、ドイツの東西の違いというのは深く存在します。

というのも、まだベルリンの壁崩壊から30年ですから、世代で引き継がれていくものには色濃く影響が残って当たり前でしょう。

ベルリンの壁崩壊・冷戦終了から30年。6つの地図で東西ドイツの今も残る違いを見る(今井佐緒里) - Yahoo!ニュース
明日9日で、ベルリンの壁崩壊から30年である。東と西のドイツは今でもどのように違うのだろうか。6つの地図で見てみよう。

その中で、自己表現を生業とする芸術という部分において、なにが自分なのか、自分の原体験を問うというもはこの物語のターニングポイントになります。

「原体験…人の生き方や考え方に大きな影響を与える幼少期の体験。」です。

これに関しては自分に今も問いかけています。

原体験とは人に照らし合わせるものではない

ビジネスも発火地点においてはアートだと私は思っています。

発火後の燃料をいかに供給するかは市場原理に取り込まれる必要性があるためビジネスは規模とともにアートとは離れたところに行ってしまったり、または遠回りを必要としたりしますが、スタートにおいてはそこまでの変わりはないと思っています。

ここでいうアートというのは、「自分の哲学を表現するために工夫や技術を用いた具体物」といった意味合いで私は使っています。

起業家はときに原体験がわかりやすくモチベーションになり、その対象に第3者を含み社会解決につなげます。

私の場合は、あまり原体験がないとは思っていたのですが、原体験というのは自分にとって解像度高く記憶していること、経験として言葉を超える力を持っているものであれば何でも良いのではないかと考えるようになってきました。

「あのウニがおいしかった。」(なぜウニかは気にしないでください。)

言葉にすれば大したことのない体験ですが、それは受け手を一般的という平均値の感性に置き換えて言葉の解釈を進めたときだけであって、そのおいしさの深みが自分にとって特別であれば、あのおいしいウニが原体験になり得ることはあるのでしょう。

他人を排除して自分の感性において、なにか感度高いものか、その原点があるとしたら何かを見てみると、自分の原体験というのは意外とあるのかもしれませんね。

と言いつつ、自分は考え中ですが。

長くなりましたが、芸術家の半生を追うかたちで、個人的には人生で大切だと思うテーマをあらためて考えさせてくれる作品でした。

ぜひ芸術というところではなくとも、自己表現の追求を考えている人がいたら、この「ある画家の数奇な運命」はオススメだと思います。